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ぼくらの死生観―英霊の渇く島に問う - 新書版 死ぬ理由、生きる理由 - (ワニブックスPLUS新書) 新書 – 2018/7/9
青山 繁晴
(著)
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購入オプションとあわせ買い
「にっぽん丸 小笠原・硫黄島クルーズ」(2014年5月25日~30日)で3回にわたって行われた青山繁晴氏の講演「海から祖国が甦る」。第二次世界大戦末期、アメリカ軍との激戦の末に占領され、返還後は立ち入り禁止となっている硫黄島。この島には今も、1万1千人以上の兵士の方々のご遺骨が取り残されたままである。2006年、正式な許可を得て、硫黄島を訪れた経験を持つ青山氏は、この事実と問題解決を様々な場で訴えてきた。この3回にわたる魂の講演をすべて採録し、さらに航海の模様と硫黄島の姿を32ページのカラー口絵写真で紹介したベストセラー『死ぬ理由、生きる理由』を新書化。新書化にあたっては、95ページに及ぶ新原稿「この書が新書として再生する朝は、こころの晴れ間です」を加筆。また、新たな写真を掲載した「硫黄島再訪、再々訪、再々々訪」を収録。ぼくらに「生と死」の在り方を突き付けたあの名著が甦る。
- 本の長さ387ページ
- 言語日本語
- 出版社ワニブックス
- 発売日2018/7/9
- 寸法10.8 x 1.9 x 17.2 cm
- ISBN-104847061330
- ISBN-13978-4847061332
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登録情報
- 出版社 : ワニブックス (2018/7/9)
- 発売日 : 2018/7/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 387ページ
- ISBN-10 : 4847061330
- ISBN-13 : 978-4847061332
- 寸法 : 10.8 x 1.9 x 17.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 44,917位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 22位ワニブックスPLUS新書
- - 53位死生観
- - 10,129位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今回この書籍を手にし、死生観 というタイトルだけを見ていましたが、中身をみて驚きでした。硫黄島の件を取り上げられた著書としてびっくり。小生今から15年ほど前に栗林中将の悲しきぞ散るを読み その後著者様も取り上げられていました イーストウッドの映画を見て 改めて栗林中将の事 並びに当時の事を思い知る事となりこの著作を1日で読み切り、TVを付けたら wowowでその映画が上映されていまして、著作を振り返りながら映画を鑑賞していました。なんという偶然か? まあ時が8月という事もあったんだろうと思いますが・・・死生観という重いテーマではありますが、青山氏の行動力には感服しましたし、その活動が故に硫黄島の遺骨返還への道が開けている事に感謝したいと思います。
2018年8月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新書版は5枚程度のあとがき追加で発刊されるのが普通だが、そんな普通のことを青山氏はやらない(笑)
なんと120枚の原稿を書き下ろしてくれました。
その120枚が読みたくて買いました。
数年前に購入して読んだことのある内容のはずなのにまるで初めて読むかのように新鮮に読めました。
これは私の脳みその痴ほう具合とともに何度でも読ませる筆力のたまものでしょう。
そしてなにより単行本発刊当時と劇的に環境が変わったといえば
青山氏本人が参議院議員になられたことです。
私は以前から議員になればいいのにと思っていたのでやっとかぁ、と思っていましたがここまで身を削ってやることなんだなぁと日々の青山氏の発信を見ながら思います。
その日々の活動の中心に間違いなくこの120枚の追加原稿があったことは想像に難くありません。
文字通り国の代表となられた青山氏の一貫した姿勢を、ビフォーアフターで読んでいくと本当に感じますね。
「何のために勉強するのか?誰のために勉強するのか?」
と子供たちに問われたときに即答できない人は本書を手に取るべきでしょう。
その答えが本書にはあります。
なんと120枚の原稿を書き下ろしてくれました。
その120枚が読みたくて買いました。
数年前に購入して読んだことのある内容のはずなのにまるで初めて読むかのように新鮮に読めました。
これは私の脳みその痴ほう具合とともに何度でも読ませる筆力のたまものでしょう。
そしてなにより単行本発刊当時と劇的に環境が変わったといえば
青山氏本人が参議院議員になられたことです。
私は以前から議員になればいいのにと思っていたのでやっとかぁ、と思っていましたがここまで身を削ってやることなんだなぁと日々の青山氏の発信を見ながら思います。
その日々の活動の中心に間違いなくこの120枚の追加原稿があったことは想像に難くありません。
文字通り国の代表となられた青山氏の一貫した姿勢を、ビフォーアフターで読んでいくと本当に感じますね。
「何のために勉強するのか?誰のために勉強するのか?」
と子供たちに問われたときに即答できない人は本書を手に取るべきでしょう。
その答えが本書にはあります。
2018年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今の日本人に欠けてる事を気づかせてくれた。
2018年7月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
青山氏の書籍「ぼくらの祖国」、「ぼくらの哲学」、そして本書は読んでいて涙を流さずにはいられない。
大東亜戦争で戦った多くの先人は、普通の一般国民であり、後世日本人子孫、祖国の繁栄を祈って、自分が犠牲となって死んでいったのである。硫黄島では、本土決戦を一日でも遅くさせて、その分だけ子孫が多く生まれることを願って、熾烈な防衛戦争を戦ったのである。その人々の遺骨は今だに滑走路の下に眠っており、遺骨の上を飛行機が滑走し、人が踏みつけている。
そのような、人のために生きた人々がいたこと忘れ、遺骨を放置している現在の敗戦国日本は、国家と言えるのか。拉致された人々を40年近くも祖国に取り戻すことができず、主権を侵害され続けている。
青山氏は硫黄島の話を第一次安倍政権の末期に安倍首相に話した。野党になると安倍氏は硫黄島のことを調査された。そして、政権に復帰した翌年平成25年に安倍首相は、硫黄島に赴き滑走路に跪いて英霊に感謝の誠を捧げた。そして、10年計画で硫黄島の滑走路の舗装を剥がして遺骨を収集することを実施しているという。また、それが安倍首相による、米国議会での硫黄島の戦いの司令官栗林忠道中将の孫新藤義孝衆議院議員と敵方のスノーデン中将を招いての日米和解演説につながった。
戦後、『人のために生きた』人々の生き方を学び、『人のために生きる』という教育が成されてこなかったから、自国防衛について日本人の間に共通認識がなく、憲法も改正されないでいるし、拉致された人々を取り戻すことができないでいる。
沖縄には、著名なひめゆり学徒隊の他、忘れ去られていた白梅学徒看護隊他7つの学徒隊があった。青山氏は、何度も、白梅学徒看護隊の生き残りの方々と白梅看護隊の自決壕を訪れて、その乙女たちが自決し横たわったであろう土を撫でながら、「みなさんがまだ恋も知らずに、ここで頑張ってくださったおかげで、今のぼくたちがいます。ありがとうございます。ありがとうございます。」と、話かけるという。
まだ恋も知らない純情な女学生が、米軍との戦闘により、はらわたが飛び出し腕か切断された死に行く兵士を看護し、一時の安らぎを与えてくれた。その女学生は、迫りくる米軍の爆撃に追われ、この自決壕で命を絶った。
沖縄戦で、沖縄の人々は沖縄は本土の捨て石にされたと思い、本土のリベラルと称する文化人やマスコミは、沖縄を捨て石にした、見捨てたという。しかし、本土からも、今を生きる我々と同じ隣にいるような様々な職業の一般の民間人が兵士として、沖縄、日本を守るために戦い、若者が特攻隊として出撃した。
これらの戦闘により命を落した人々、そして、これらの人々を看護した学徒看護隊の人々は、後世の今を生きる我々のために生きて、戦い、そして、日本、我々のために死んでいった。沖縄と本土とを、「犠牲にされた、犠牲にした」と、精神的に分断させてはならない。
2012年に天皇皇后陛下が沖縄に行幸啓された時、臨時に休憩所に立ち寄られるとの名目で、天皇皇后陛下は、白梅学徒看護隊の生き残りの3名と会われた。そして、両陛下との会話がなされて、看護隊の方が退室しようした時、皇后陛下が近づかれ、「白梅の塔は、どちらの方向ですか」とお尋ねになられた。そして、指し示された方向に向かって、両陛下は、深々と、永遠の時のように長く、頭を下げられた。
青山氏の主張のように、決して沖縄と本土とを精神的に分断させてはならない。それには、真実の近現代史を学び、沖縄戦は、沖縄の人々と本土の人々とが等しく、後世我々と日本の存続のために、人のために生きて、戦ってくれたとの思いを全ての日本人が抱き、現世の我々が、自分のために生きるのではなく、人のために生きて、人のために死ぬという哲学を実践することが必要ではないかと、つくづく思う。青山氏の書籍を読むと、自分も日本のために何かをしなければならいという強い思いに駈られる。
とにかく、多くの人に読んで欲しいと思う本である。
大東亜戦争で戦った多くの先人は、普通の一般国民であり、後世日本人子孫、祖国の繁栄を祈って、自分が犠牲となって死んでいったのである。硫黄島では、本土決戦を一日でも遅くさせて、その分だけ子孫が多く生まれることを願って、熾烈な防衛戦争を戦ったのである。その人々の遺骨は今だに滑走路の下に眠っており、遺骨の上を飛行機が滑走し、人が踏みつけている。
そのような、人のために生きた人々がいたこと忘れ、遺骨を放置している現在の敗戦国日本は、国家と言えるのか。拉致された人々を40年近くも祖国に取り戻すことができず、主権を侵害され続けている。
青山氏は硫黄島の話を第一次安倍政権の末期に安倍首相に話した。野党になると安倍氏は硫黄島のことを調査された。そして、政権に復帰した翌年平成25年に安倍首相は、硫黄島に赴き滑走路に跪いて英霊に感謝の誠を捧げた。そして、10年計画で硫黄島の滑走路の舗装を剥がして遺骨を収集することを実施しているという。また、それが安倍首相による、米国議会での硫黄島の戦いの司令官栗林忠道中将の孫新藤義孝衆議院議員と敵方のスノーデン中将を招いての日米和解演説につながった。
戦後、『人のために生きた』人々の生き方を学び、『人のために生きる』という教育が成されてこなかったから、自国防衛について日本人の間に共通認識がなく、憲法も改正されないでいるし、拉致された人々を取り戻すことができないでいる。
沖縄には、著名なひめゆり学徒隊の他、忘れ去られていた白梅学徒看護隊他7つの学徒隊があった。青山氏は、何度も、白梅学徒看護隊の生き残りの方々と白梅看護隊の自決壕を訪れて、その乙女たちが自決し横たわったであろう土を撫でながら、「みなさんがまだ恋も知らずに、ここで頑張ってくださったおかげで、今のぼくたちがいます。ありがとうございます。ありがとうございます。」と、話かけるという。
まだ恋も知らない純情な女学生が、米軍との戦闘により、はらわたが飛び出し腕か切断された死に行く兵士を看護し、一時の安らぎを与えてくれた。その女学生は、迫りくる米軍の爆撃に追われ、この自決壕で命を絶った。
沖縄戦で、沖縄の人々は沖縄は本土の捨て石にされたと思い、本土のリベラルと称する文化人やマスコミは、沖縄を捨て石にした、見捨てたという。しかし、本土からも、今を生きる我々と同じ隣にいるような様々な職業の一般の民間人が兵士として、沖縄、日本を守るために戦い、若者が特攻隊として出撃した。
これらの戦闘により命を落した人々、そして、これらの人々を看護した学徒看護隊の人々は、後世の今を生きる我々のために生きて、戦い、そして、日本、我々のために死んでいった。沖縄と本土とを、「犠牲にされた、犠牲にした」と、精神的に分断させてはならない。
2012年に天皇皇后陛下が沖縄に行幸啓された時、臨時に休憩所に立ち寄られるとの名目で、天皇皇后陛下は、白梅学徒看護隊の生き残りの3名と会われた。そして、両陛下との会話がなされて、看護隊の方が退室しようした時、皇后陛下が近づかれ、「白梅の塔は、どちらの方向ですか」とお尋ねになられた。そして、指し示された方向に向かって、両陛下は、深々と、永遠の時のように長く、頭を下げられた。
青山氏の主張のように、決して沖縄と本土とを精神的に分断させてはならない。それには、真実の近現代史を学び、沖縄戦は、沖縄の人々と本土の人々とが等しく、後世我々と日本の存続のために、人のために生きて、戦ってくれたとの思いを全ての日本人が抱き、現世の我々が、自分のために生きるのではなく、人のために生きて、人のために死ぬという哲学を実践することが必要ではないかと、つくづく思う。青山氏の書籍を読むと、自分も日本のために何かをしなければならいという強い思いに駈られる。
とにかく、多くの人に読んで欲しいと思う本である。
2021年8月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
基本的に持論。青山さんが好きな人が買う本ですね。
2019年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大変に感銘を受けた書なのですが長らく書評を書けないでいました。
その理由のすべては「英霊」の存在への私の見解が定まらなかったからです。
本書では英霊、霊魂が普通に存在する、著者の目に見えた「体験」として書かれています。
このことをもって眉に唾を塗る者たちもいることでしょう。
このことをもって氏や氏の語ることへの信頼性・信用性を云々する者たちも現にいる。
日本の伝統文化を否定するリアリストを自称するリベラルならいざ知らず、
保守を自認する者にも「英霊」の存在を否定する者がいる。
では靖国神社とはなんなのか?
戦時中、国への絶対奉仕を目的とする国家による国民洗脳のためのギミックなのか?
英霊の存在を否定することは靖国を否定することであり、日本を日本たらしめている
「物語」を否定することです。
そしてそのことは、西洋の、他文化の「物語」への帰依を結果として意味する。
他文化の物語には中身・伝統があるが、借り物の物語にはそれらがないから私利私欲に堕すしかない。
だから社会主義という人類にとっての借り物のユートピアは全体主義という奴隷制度を必然とするのです。
「公」がなければ人間存在は動物化する。
村上春樹流に言えば、英霊は人間を動物化させないために天が与えたメタファなのかもしれません。
誤解を怖れずにいえば、天皇の存在もまた「無私」の体現者でありメタファなのでしょう。
私たちはそれらの「無私」なる存在を失ったなら、他に何をもって埋め合わせるのでしょうか?
そういう「問い掛け」としてこの書を読んだのです。
その理由のすべては「英霊」の存在への私の見解が定まらなかったからです。
本書では英霊、霊魂が普通に存在する、著者の目に見えた「体験」として書かれています。
このことをもって眉に唾を塗る者たちもいることでしょう。
このことをもって氏や氏の語ることへの信頼性・信用性を云々する者たちも現にいる。
日本の伝統文化を否定するリアリストを自称するリベラルならいざ知らず、
保守を自認する者にも「英霊」の存在を否定する者がいる。
では靖国神社とはなんなのか?
戦時中、国への絶対奉仕を目的とする国家による国民洗脳のためのギミックなのか?
英霊の存在を否定することは靖国を否定することであり、日本を日本たらしめている
「物語」を否定することです。
そしてそのことは、西洋の、他文化の「物語」への帰依を結果として意味する。
他文化の物語には中身・伝統があるが、借り物の物語にはそれらがないから私利私欲に堕すしかない。
だから社会主義という人類にとっての借り物のユートピアは全体主義という奴隷制度を必然とするのです。
「公」がなければ人間存在は動物化する。
村上春樹流に言えば、英霊は人間を動物化させないために天が与えたメタファなのかもしれません。
誤解を怖れずにいえば、天皇の存在もまた「無私」の体現者でありメタファなのでしょう。
私たちはそれらの「無私」なる存在を失ったなら、他に何をもって埋め合わせるのでしょうか?
そういう「問い掛け」としてこの書を読んだのです。